3月

駆け込みで3月のブログを書く。

 

空人くんのオタクをやめた。3年ちょっとの空人推し生活、楽しかったなぁ。結局2年以上1人で現場通って、友達が同じ界隈に来てくれたり公開垢作ってじぶのオタクの友達が増えたりしたのにこんなことになってしまい、すみません。でもこれはもう誰も責められないよね、なぜならな○恋のせいだから。(言うた) 私がじぶに引きずり込んだフォロワーのことは気がかりだったけどフォロワーのフォロワーがじぶのこと好きになったみたいだから安心してオタク辞められる。好きな人の嫌なところばっかりが目について、好きだなーが好きだったなーになっていくのってこんなに辛かったっけ?と思った。こういうオタクの辞め方をするのも久しぶりだからかもしれないけど。これはツイートもしてるけど、去年が楽しすぎてやりきった感あるのも事実だしね。2020年が忍者担で1番楽しかったように2023年が空人くんのオタクで1番楽しかった。春ツの感想とかは春ツが終わったら書こうかな。

 

 

話は変わって私は視力が右-1.25 左-0.5 (-1.25)なんだけど裸眼でも生活できるから現場の日以外は裸眼で過ごしてる。裸眼のぼやけた世界に慣れてしまっているのでコンタクトを入れていると目に入る看板の文字を全部読んでしまったりすれ違う人の顔をまじまじと見てしまったりするため疲れる。視力が良い人(矯正含む)って視覚からの情報が多すぎて疲れたりしないんだろうか......。

 

 

フォロワーにふゆみさん見せたら踊り手顔だねって言われてめちゃくちゃ納得した。私はメン地下‼️って顔が別に好みじゃなくて私より色白い人🆖だし眉は太い方がいいしまつ毛上がってなくていいし顎もシュッとしてなくていいからこういう顔に落ち着いたのかも。それで言うと煎じって何顔になるんだろう。

 

 

 

あと3月って何があったかなぁ、たぶん4月の方が書きたいこと多いと思うから3月は短くてもいいかな。

 

 

 

20240215-0218

メンタルが終わっている。生理のせいである。

理由は明らかでこの精神的不調も数日経てば回復すると分かっているのに衝動に任せてTwitterのアカウントを消してしまった。こういうところにも嫌気が差す。悪循環だ。

 

まず今回は3つの点で病んでいる。1つ目はバイトに落ちまくっていることである。私にはこんなにも働きたい意思があるというのになぜ落ちるのか、やはり私は社会から必要とされていないのか、という鬱自己分析(自己分析でもない)により特大BADに入っている。2つ目は容姿である。顔が悪いのは元からだが年末年始で5キロも太ってしまった。醜さの加速が止まらない。3つ目は劣等感である。劣等感については細かく言及しないでおくが、とにかく私はドデカ劣等感を抱えて生きているのである。

 

そもそも私のような人間がこんなにしんどいアピールをして良いものか、と悩んではいる。世の中には私よりも断然しんどい思いをしている人がいるのに私のメンタルが弱いせいで大したことでもないのに落ち込んで、情けないと思っている。なんなら本当にしんどい思いをしている人に申し訳ないくらいである。さらに、Twitterに心身の不調を書き込むことは無駄でありただ見る人を不快にさせるだけのものだということも分かってはいる。でもどこかに吐き出さないとやってられないのも事実なのだ。ということをずっと考えていたところ、好きなツイッタラー(と呼んでいいのか?)が「自分の気持ちを誰かが知っていてくれるだけで良いっていうか、ほんと勝手だけどそれだけで安心」と言っておりかなり救われた。本当に身勝手な話だが、どこかで誰かが自分がしんどい状態にあることを知っていてくれることで少し楽になるのである。

 

あと3日のうちに割と近しい人2人から「○○ってネガティブだよね」と言われてしまった。人からネガティブだと思われている事実、ヤバすぎる。自分的には現実を受け止めた結果の発言のため、ネガティブだとは思っていないのだがネガティブなのだろうか。根暗、なのだろうか。

 

ちなみに虫歯だと思っていた歯の痛みは噛み合わせ(食いしばり、歯ぎしり)によるものだった。この虫歯疑惑がかなり心にきていたので歯医者で「虫歯じゃないですよ。」と言われた時安心して涙が出るかと思った。あとシンプルに歯医者さんが優しすぎて、涙が出そうだった。なんで歯医者さんはあんなにも優しいのか。ただ今まで通っていた歯医者では歯並び悪いとは言われたことが無かったので歯並び悪いですねと言われたのは少しショックだった。歯並びの悪さには薄々気付いてはいたけども、歯医者さん(前に通っていたところ)で私って歯並び悪いですか?と聞いて「悪くないよ」と言われていただけに「いや、やっぱり歯並び悪いんかい。」と思った。

 

 

アカウントを消してから数日、フランス語の単位は落としたがかなり元気になってきた。正直小笠原海さんにフランス語の教科書を貸した時から落単フラグは立っていたと思う。いや、これはただの責任転嫁で自分の勉強不足による結果だということはもちろん分かっているのだが。(最悪なことを言うと、弟が高校受験に落ちたためそちらのショックがデカすぎて自分の1単位がどうでもよく思えているだけである。)

 

また、フォロワーとご飯を食べに行ったことでほぼ普段と変わらないメンタルに戻ることが出来たと思う。フォロワーには何度も伝えているが、私にとってフォロワーの存在は朝井リョウにおける松永邦彦なのだ。正しさを愛し、言葉に執着して生きていく同士がいるという事実を噛み締め、明日からもまた頑張ろうと思う。

 

20240204

こういうのって書き出しをどうすればいいのかよく分からないけど、とにかくこのブログは私のリハビリ(というか練習?)の第一歩になると思う。自分の考えてることとかをちゃんとブログに書くのは初めてなので読みづらいとは思うけどこれから成長出来ればいいなという感じです。

 

まず、ブログ書くこと自体なんか小っ恥ずかしくて逃げてきてたんだよね。今までの人生。自分のこと知って欲しくていら情隙自語ツイートばっかりするくせに。でもまぁこれには自分なりの言い訳があって、日記だとかそういう自分しか読まないものを書くのが昔から苦手だったから、その延長でブログを書くことにあんまり意欲的(積極的?)じゃなかったというか。日記とかタイムカプセルの未来の自分へに手紙とかめっちゃ苦手だったな。自分自身に語りかける感じがどうも苦手で。あと物語とか短歌とかそういう創作物も憧れてはいたけどいざやってみるとどうも他人の言葉を繋ぎ合わせたものが出来上がるだけで嫌になってやめた。

 

で、このような人間がなぜ文学部を目指したのかという話になるんだけど、これは高校二年生の時の古典の先生(気難しいというかめっちゃドライで不思議な人でした)が私の現代語訳を見て「○○さんは才能がありそうだね」って言ってくれたその一言がめちゃくちゃ嬉しかったからなんだよね。実際今私がやりたいのは古典じゃなくて近代文学なんだけどきっかけは古典の先生の一言だったなーと思ってる。元々読書は好きだったし教科としても国語が得意だったから文学部に興味はあったけどちゃんと目指そうって思えたのはその言葉があったからかな。高二でその段階って、遅いだろと言われるかもしれないけどね。まぁ振り返ってみると国語が好きだった、近代文学がやりたいと言いつつ褒められたのは古典が多い気がするな。中学は3年間同じ先生が国語を受け持ってくれて、高校は3年間それぞれ違う先生が古典(と現代文)受け持ってくれてたんだけどどの先生もすごく良くしてくれたなぁ。思えば古典を褒められることが多かったというより古典の先生に気に入られることが多かったと言う方が正しいのかもしれない。現代文の先生も仲良かったけどね、受験期にお世話になったのは現代文の先生だし。あと高校生の時の国語にまつわるエピソードといえば全く話したことがない図書館司書の先生とバトル(一方的に負けた)したな。大学入試がAO入試だったから口頭試問があったんだけどその当時三島由紀夫の「翼」にどハマりしてたのもあって三島由紀夫について話せるようになっておきたくて、それで国語の先生に相談したら図書館司書の先生に相談するといいって言われたから図書館に行ったの。でも「大学で三島由紀夫ジェンダーに関する研究をやりたいんです」って言ったら「でもジェンダーに関して学ぶなら偏見があるようじゃダメなのよ。」って言われて、こちらは「は?」ってなりますよね。まず、初対面の人間に、まだ一言しか喋ってない人間に「偏見があるようじゃダメ」って、あなたは私の何を知ってるんですか?偏見って誰しもが持っているものなんじゃないですか?偏見を偏見として認めることがまず第一歩なんじゃないですか?じゃああなたは何をもってどのような意見を偏見と見なすんですか?じゃあそもそもあなたは偏見を持っていないんですか?って。この時はムカつきすぎて涙が出ましたね。所詮高校三年生の小娘、何も知らないガキ、って思われてるのがその言葉に詰まってた気がして。でもまぁこれは私がそう受け取っただけでそこまでの感情やら何やらは向こうには無かったのかもしれないです。今となっては知り得ませんが。

 

なんか大幅に話が逸れましたね。あとは私の原動力の話をしようかな。私の原動力はね、人からの期待とか信用だと思うんですよ。親からの期待とか、それこそ高校時代の先生からの期待とか、そういうものだと思うんです。大学も自分が行きたくて選んだ大学ではあるけど「もっといい大学に行けてたらもっと自慢できる娘であれたのに。」とかはずっと思ってますね。あと私の親はよく「流石うちの子(パパとママの子)だね!」って言うんですよ。確かにうちの両親は能力がある人だと思います。詳しくは言えないですけど、人から尊敬される人達だと思います。でもそんな言い方ってめちゃくちゃプレッシャーじゃないですか。めちゃくちゃ期待かけてるし"血"に対する信用が高すぎるじゃないですか。そうなるとこの期待や信用に応えられるよう頑張らないとと思いますよね。あとはまた高校時代の話になってしまいますが、どこかの偉い先生?みたいな人が受験相談会みたいなのでうちの高校に来た時に当然私も話す機会があって、その時に「あなたは将来活躍しそうだね。メディアとかで名前を見るかもしれないね。」って言われたんですよ。もしかしたら皆に言ってるのかもしれないけど、その可能性に応えられるように頑張ろうって思うじゃないですか。やっぱり。ざっくり言うとこういう期待や信用に応えなきゃっていう気持ちがかなり大きいですね。あとまぁ、他人からの見え方というか、自分自身がどう思われるかよりも両親や弟から見て「自慢できる娘」「自慢できる姉」であるかを気にして生きてますね。

 

また話は変わりますが、高校時代の1番良かったことといえば、自分の頑張りを認めてくれる人に出会えたことかなと思います。私は高校一年生から生徒会に入っていて、二年生から三年生にかけて生徒会長をやったんですよ。全然信任投票だったんですけど。生徒会長になってから結構色々あって、私は元々「頑張ってる」のを人に見せるのはダサいと思ってたんです。これは自分自身の話で、頑張ってる人は超かっこいいし超素敵だと思うんですけど、自分が周りから見られた時に「頑張ってる」のが滲み出てるのか「頑張ってるアピール」になってるのかが分からないから「頑張ってない」ように見えるようにしようとしてたんです。でもそうしたら結構仲良い友達から「○○は暇じゃん?」とか言われることもあって、自分でそう見えるようにしてるのに一丁前に傷ついたりしてましたね。気付いて欲しがりなんですよ、面倒くさいですね。でも逆に先生方は結構私の頑張りに気付いてくれて、「○○さんはポーカーフェイスだから、もっとしんどい時はしんどい顔をした方がいい」って言ってくれたりして、そういうのは嬉しかったですね。自分は今しんどい顔していいんだ、これやっぱしんどいよなって、認めてもらった気がして。なんと言うか、自己評価が低いから「これくらい頑張らないと」「これくらい皆やってるから」って思いがちなんですよね。これまた面倒くさい性格ですよね。しかもまだ面倒くさいのがこの「これくらい皆やってるから」が転じて「私でもできることなのになんでこれくらいのことができないの?」って他人に思うことなんですよ。クソ面倒くさいじゃないですか、こんなこと思う人間。だからもう少しまっすぐに自分のことを認めてあげられるようになりたいですね。今すぐにじゃなくてもそのうち。

 

まとまりのない話ばかり書きましたが、今回はこの辺にしてみたいと思います。最後まで読んでくれた人がいるかは分かりませんが、読んでくれた人はありがとうございます。オチがなくてすみません。