20240204

こういうのって書き出しをどうすればいいのかよく分からないけど、とにかくこのブログは私のリハビリ(というか練習?)の第一歩になると思う。自分の考えてることとかをちゃんとブログに書くのは初めてなので読みづらいとは思うけどこれから成長出来ればいいなという感じです。

 

まず、ブログ書くこと自体なんか小っ恥ずかしくて逃げてきてたんだよね。今までの人生。自分のこと知って欲しくていら情隙自語ツイートばっかりするくせに。でもまぁこれには自分なりの言い訳があって、日記だとかそういう自分しか読まないものを書くのが昔から苦手だったから、その延長でブログを書くことにあんまり意欲的(積極的?)じゃなかったというか。日記とかタイムカプセルの未来の自分へに手紙とかめっちゃ苦手だったな。自分自身に語りかける感じがどうも苦手で。あと物語とか短歌とかそういう創作物も憧れてはいたけどいざやってみるとどうも他人の言葉を繋ぎ合わせたものが出来上がるだけで嫌になってやめた。

 

で、このような人間がなぜ文学部を目指したのかという話になるんだけど、これは高校二年生の時の古典の先生(気難しいというかめっちゃドライで不思議な人でした)が私の現代語訳を見て「○○さんは才能がありそうだね」って言ってくれたその一言がめちゃくちゃ嬉しかったからなんだよね。実際今私がやりたいのは古典じゃなくて近代文学なんだけどきっかけは古典の先生の一言だったなーと思ってる。元々読書は好きだったし教科としても国語が得意だったから文学部に興味はあったけどちゃんと目指そうって思えたのはその言葉があったからかな。高二でその段階って、遅いだろと言われるかもしれないけどね。まぁ振り返ってみると国語が好きだった、近代文学がやりたいと言いつつ褒められたのは古典が多い気がするな。中学は3年間同じ先生が国語を受け持ってくれて、高校は3年間それぞれ違う先生が古典(と現代文)受け持ってくれてたんだけどどの先生もすごく良くしてくれたなぁ。思えば古典を褒められることが多かったというより古典の先生に気に入られることが多かったと言う方が正しいのかもしれない。現代文の先生も仲良かったけどね、受験期にお世話になったのは現代文の先生だし。あと高校生の時の国語にまつわるエピソードといえば全く話したことがない図書館司書の先生とバトル(一方的に負けた)したな。大学入試がAO入試だったから口頭試問があったんだけどその当時三島由紀夫の「翼」にどハマりしてたのもあって三島由紀夫について話せるようになっておきたくて、それで国語の先生に相談したら図書館司書の先生に相談するといいって言われたから図書館に行ったの。でも「大学で三島由紀夫ジェンダーに関する研究をやりたいんです」って言ったら「でもジェンダーに関して学ぶなら偏見があるようじゃダメなのよ。」って言われて、こちらは「は?」ってなりますよね。まず、初対面の人間に、まだ一言しか喋ってない人間に「偏見があるようじゃダメ」って、あなたは私の何を知ってるんですか?偏見って誰しもが持っているものなんじゃないですか?偏見を偏見として認めることがまず第一歩なんじゃないですか?じゃああなたは何をもってどのような意見を偏見と見なすんですか?じゃあそもそもあなたは偏見を持っていないんですか?って。この時はムカつきすぎて涙が出ましたね。所詮高校三年生の小娘、何も知らないガキ、って思われてるのがその言葉に詰まってた気がして。でもまぁこれは私がそう受け取っただけでそこまでの感情やら何やらは向こうには無かったのかもしれないです。今となっては知り得ませんが。

 

なんか大幅に話が逸れましたね。あとは私の原動力の話をしようかな。私の原動力はね、人からの期待とか信用だと思うんですよ。親からの期待とか、それこそ高校時代の先生からの期待とか、そういうものだと思うんです。大学も自分が行きたくて選んだ大学ではあるけど「もっといい大学に行けてたらもっと自慢できる娘であれたのに。」とかはずっと思ってますね。あと私の親はよく「流石うちの子(パパとママの子)だね!」って言うんですよ。確かにうちの両親は能力がある人だと思います。詳しくは言えないですけど、人から尊敬される人達だと思います。でもそんな言い方ってめちゃくちゃプレッシャーじゃないですか。めちゃくちゃ期待かけてるし"血"に対する信用が高すぎるじゃないですか。そうなるとこの期待や信用に応えられるよう頑張らないとと思いますよね。あとはまた高校時代の話になってしまいますが、どこかの偉い先生?みたいな人が受験相談会みたいなのでうちの高校に来た時に当然私も話す機会があって、その時に「あなたは将来活躍しそうだね。メディアとかで名前を見るかもしれないね。」って言われたんですよ。もしかしたら皆に言ってるのかもしれないけど、その可能性に応えられるように頑張ろうって思うじゃないですか。やっぱり。ざっくり言うとこういう期待や信用に応えなきゃっていう気持ちがかなり大きいですね。あとまぁ、他人からの見え方というか、自分自身がどう思われるかよりも両親や弟から見て「自慢できる娘」「自慢できる姉」であるかを気にして生きてますね。

 

また話は変わりますが、高校時代の1番良かったことといえば、自分の頑張りを認めてくれる人に出会えたことかなと思います。私は高校一年生から生徒会に入っていて、二年生から三年生にかけて生徒会長をやったんですよ。全然信任投票だったんですけど。生徒会長になってから結構色々あって、私は元々「頑張ってる」のを人に見せるのはダサいと思ってたんです。これは自分自身の話で、頑張ってる人は超かっこいいし超素敵だと思うんですけど、自分が周りから見られた時に「頑張ってる」のが滲み出てるのか「頑張ってるアピール」になってるのかが分からないから「頑張ってない」ように見えるようにしようとしてたんです。でもそうしたら結構仲良い友達から「○○は暇じゃん?」とか言われることもあって、自分でそう見えるようにしてるのに一丁前に傷ついたりしてましたね。気付いて欲しがりなんですよ、面倒くさいですね。でも逆に先生方は結構私の頑張りに気付いてくれて、「○○さんはポーカーフェイスだから、もっとしんどい時はしんどい顔をした方がいい」って言ってくれたりして、そういうのは嬉しかったですね。自分は今しんどい顔していいんだ、これやっぱしんどいよなって、認めてもらった気がして。なんと言うか、自己評価が低いから「これくらい頑張らないと」「これくらい皆やってるから」って思いがちなんですよね。これまた面倒くさい性格ですよね。しかもまだ面倒くさいのがこの「これくらい皆やってるから」が転じて「私でもできることなのになんでこれくらいのことができないの?」って他人に思うことなんですよ。クソ面倒くさいじゃないですか、こんなこと思う人間。だからもう少しまっすぐに自分のことを認めてあげられるようになりたいですね。今すぐにじゃなくてもそのうち。

 

まとまりのない話ばかり書きましたが、今回はこの辺にしてみたいと思います。最後まで読んでくれた人がいるかは分かりませんが、読んでくれた人はありがとうございます。オチがなくてすみません。